四日市港管理組合

四日市港管理組合総務課

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四日市港こども学習室

四日市港のすがた

四日市港は古くは羊毛・綿花(めんか)の輸入(ゆにゅう)港としてさかえ、昭和27年(1952)には外国貿易(ぼうえき)をさかんにするため、とくに重要な港湾(こうわん)に指定されました。
昭和34年(1959)には四日市港の周辺にできた石油化学コンビナートが本格的に稼動(かどう)をはじめ、工業港として大きな発展をしてきました。
また、昭和40年代にはじまった定期航路(こうろ)のコンテナ化に対応するため、コンテナ基地(きち)の整備(せいび)も行われ、オーストラリア航路(こうろ)がコンテナ化されその後、ほかの外国の港との定期航路(こうろ)も開設(かいせつ)されました。
昭和45年(1970)から埋立て(うめたて)が開始された霞ケ浦(かすみがうら)南ふ頭には、コンテナ基地(きち)のほか、輸出(ゆしゅつ)自動車の船積み(ふなづみ)基地(きち)もあり、現在、ここから世界各地へたくさんの自動車が輸出(ゆしゅつ)されています。このほか、霞ケ浦(かすみがうら)地区には石炭や石油ガス(LPG)を荷揚げ(にあげ)して保管(ほかん)するための施設(しせつ)があります。
また、四日市地区には穀物(こくもつ)専用(せんよう)の荷役(にえき)機械(きかい)や倉庫(そうこ)があります。沖合い(おきあい)には、大型タンカーが原油(げんゆ)をおろすためのシーバースという施設(しせつ)が2基(き)あり、大きな船が直接港に入らずに貨物(かもつ)をおろすことができるようになっています。

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